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書評 川端基夫著『小売業の海外進出と戦略』新評論、2000年

丸谷雄一郎(maruya@aichi-uac.jp)
愛知経営論集、第144号、2001年7月、71-79頁に掲載。
〔I〕
 著者は本書の冒頭(4頁)で、小売業の国際化研究*1の課題として、以下の6点を示している。(1)国際化行動の実態把握の不足、(2)理論的研究の不足、(3)主体特性と国際化行動との関連づけの甘さ、(4)撤退行動や閉店現象の研究不足、(5)流通の川上部門への関心の低さ、(6)立地点が有する意味への関心の低さである。本書は上記の課題に関する考察を踏まえた上で、主にアジアに展開する日系小売業に直接的なヒアリング調査を行い、この調査結果に基づいて、著者がいうところの「商業資本の国際的な運動法則」に迫ることを試みたものである。
 
〔U〕
 全体の構成は以下の通りである。
  序章 本書のねらいと対象、視覚、手法
 第1章 小売国際化における海外出店の意義〜製造業との比較から〜
 第2章 理論構築への視覚と課題〜「フィルター構造」論の提起〜
 第3章 基礎データの検討〜出店・閉店の実像〜
 第4章 出店要因の分析〜主体側の要因〜
 第5章 閉店・撤退要因の分析〜進出後の実態と閉店メカニズム〜
 第6章 海外の日本人市場と海外進出〜「飛び地市場」の実態と課題〜
 第7章 中間層市場の拡大とアジア進出〜「市場同質化」論の検証〜
 第8章 中間流通問題と海外進出〜供給サイドへの着目〜
 第9章 国際店舗立地のメカニズム
  結章 「技術移転」から「共生」へ
  付章 小売国際化研究の現状
 以下簡単に内容を紹介することにする。序章では、小売業国際化研究の問題点を踏まえた上で、本書のねらい、研究対象、研究視角、研究手法及び研究の前提となる事項について検討している。
 第1章では、製造業との比較から小売国際化における海外出店の意義を示している。著者は、小売業の国際化の特徴は店舗を介するということであり、店舗(店舗経営)が成立する仕組みとの関係の中で、海外市場や小売業の海外進出を議論する必要性を強調している。そして、「小売国際化=海外出店」といった単純な捉え方をした既存研究の多くが単に店舗の数量把握を行ってきたのにすぎないことを指摘し、出店行動を中心とした徹底した実証分析の必要性を明示している(29頁)。
 第2章では、小売国際化における既存研究をレビューし、理論的研究の方向性を「小売業の海外進出の要因に関する研究」、「製造業の直接投資論の研究成果を借用し、小売業の国際化研究に援用しようとする研究」、「小売業の海外進出のメカニズムを経営戦略論の成果を援用しようとする研究」、「国際マーケティングにおける「標準化適応化問題」を小売業の海外進出と関連付けた研究」に4分類した。そして、各既存研究について課題を示した上で、全研究に共通する基本的課題として「市場の捉え方の曖昧さ」を指摘した。そして、前著『アジア市場幻想論』(1999)で示した「フィルター構造(各市場に備わる固有の条件の重なり合った構造が小売業の参入を選択的に許容するという視角)」を提起し、この視角が「環境要因を動態的な構造として捉えている点」と「既存研究で重視されてこなかった店舗立地や店舗運営に影響を与える要因を重視している点」で既存の環境論アプローチと異なることを示している。また、市場参入を行う小売企業が自己システムと参入先市場の「フィルター構造」との関係を解明することの重要性を指摘し、この視角に基づく分析は適応化戦略と標準化戦略の双方を統合的に捉える理論的フレームの形成に寄与する可能性があるとしている(59頁)。
 第3章以下では、第2章で提起された「フィルター構造」という視角に基づいて日系企業のアジアを中心とする海外進出に関する実態分析を行い、既存研究の問題点をも克服しようとしている。
 第3章では、本書で分析に利用した出店と閉店に関する基礎データについて示し、その基礎データに基づいて日系小売業者の海外出店の傾向について分析している。出店の現況の分析からは「アジア(特に台湾)への偏在」、「同業態内での企業ごとの市場選択の多様性」、「地域ごとに異なる進出業態や店舗の規模」などの特性が示された。海外出店の時系列分析からは、海外進出当初の日本人観光客ねらいの百貨店の出店、1980年代後半以降のアジア現地市場向けの百貨店・スーパーの出店、1990年以降の百貨店の撤退とスーパーの海外出店の増大が示された。また、閉店の時系列分析からは、日系小売業者のアジア進出の約60%が撤退している現状や各業態や時代ごとの撤退の特性が示されている。出店面積の時系列分析からは、1990年代の中盤以降に出店面積がピークを迎えていることから、日系小売業の海外進出がバブル期の申し子であるとは必ずしもいえないという事実が示された。
 第4章では、進出後の行動説明に寄与する進出要因の解明が試みられている。著者は既存の進出要因研究が示してきた「国内市場の延長としての海外進出」という考え方が現実の出店行動の決断について説明するのには有効でないことを示した。そして、進出の決断の要因は主体側の要因である「キーパーソンの役割(トップの積極的な海外進出への影響力の行使)」を基盤としており、「進出先のアジアの不動産の高騰」や「現地から出店要請」がそれを後押ししたこと、そのような進出の経緯が社内での事業の位置付け、投資行動上の特徴及び進出後の行動に影響を及ぼしたことを指摘した。そして、これまでの進出要因分析が示した進出要因の多くが既述の要因を正当化するための後付けの理由に過ぎないことを示した。
 第5章では、店舗立地行動(市場参入後の増店、移転、閉店、撤退といった一連の行動)に影響を及ぼした要因の分析を閉店現象を中心に分析した。著者はこの分析において、店舗立地行動の不振要因として@粗利益の構造的低さ、A店舗賃貸料の重圧の大きさ、B進出時期の悪さ、C現地における過当競争、D立地選定の失敗を指摘した。そして、これらの要因は店舗立地行動を検討する際に重要な視角である「アジア店舗の収益構造」と「アジアの市場特性」を提示していることを指摘した。さらに、特に前者を中心に検討し、アジア店舗の収益構造が「店舗家賃」とそれに付随して起こる出店や家賃更改などの投資タイミングに大きく左右されていることを示し*1、従来指摘されてきた海外進出要因の説明力が低いことを示した。
第6章では、戦後の日系小売業の海外進出の重要な要因の1つであるにもかかわらず、ほとんど分析されてこなかった「海外の日本人市場」について検討している。まず、海外の日本人市場の拡大の経緯を示した上で、欧州とアジアのツーリスト市場における日系百貨店の発展の経緯と近年の停滞及び在外駐在邦人市場におけるスーパーを含む日系小売業者の発展の経緯と展望について検討し、若干の課題を提示した。
 第7章では、第6章で論じた「海外の日本人市場」と並んで、アジアに進出した日系小売業者が標的とした中間層の拡大に伴って生まれたアジア現地市場についてその実像を検討した。著者はアジア現地市場の特性を考える上で重要な要素として、所得の地域間及び居住地域間格差の存在、所得とライフスタイル及び価値観との関係、自動車保有率などの消費者モビリティをあげた。そして、マレーシアとタイの市場に進出した日系小売業のケースを検討し、アジア市場の実態はこれまでイメージされてきたものと異なることを示し、アジアなどの途上国が時間を経れば先進国と同質化するとは限らないということを指摘した。
 第8章では、「現地での商品調達問題」について検討している。著者はアジアは中間流通システムが整備されていない状況にあり、このことが発達した中間流通システムを前提として成長してきた日系小売業者にとって大きな問題となっており、その問題の解決のために日系卸売業者が小売業者の要請によって海外進出したことを指摘した。さらに、海外進出した日系卸売業者や欧州系の倉庫型ディスカウンターといった仲介流通に依存しない手法を示した事例を検討し、アジアにおける中間流通システムの未整備が「中間流通を自ら補完するタイプの海外進出」と「中間流通になるべく依存しないタイプの海外進出」という2つの小売業者の海外進出のパターンを生み出していることを指摘している。
 第9章では、8章までの実態分析から見出される日系小売豪奢の国際店舗立地メカニズムとそれに伴って重視されるべきポイントを、「新規出店(市場参入)」、「進出後」、「撤退」の三つの段階に分けてまとめている。
 新規出店のメカニズムは海外進出当初は海外における「日本人市場の存在」と「キーパーソンによるトップダウン的意思決定の存在」に依存していた。そのメカニズムはアジア諸国のバブル経済によって変容し、海外進出の意思決定を、バブル経済下のアジアでの「商業物件の評価・選択」へと変質させた。こうした分析を通じて、著者はメカニズムが変化しても、日系小売業者の海外進出における新規出店の意思決定において、小売業の店舗立地活動において本来採用されるべき原則(市場の可能性を調査し、参入候補市場から最適な進出先を決定するという原則)が採用されたことはなく、このことが進出後の経営に与えた影響が大きいことを指摘した。進出後のメカニズムはアジアの所得構造といった「市場そのものに起因する要因」、店舗維持コストといった「店舗立地要因」ならびに海外赴任者の社内での位置付けといった「企業組織の人事のあり方」という3つの主因が複合的に影響しあってその成功を左右しており、これらは全て「市場参入のタイミング」と連動しているので、これらの要因は進出後の成長にとって「市場参入のタイミング」が重要であることを示唆しているとしている。撤退のメカニズムは家賃問題と一号店への過度な投資が強く影響しているとしており、現地でしっかりと利益を出せる店舗投資をすることが不可欠であるとしている。
 さらに、多くの日系小売業者の国際化は戦略性に欠けており、試行錯誤的・機会模索的であることを指摘し、今後は戦略的な進出を行うべきであるとしている。そして、今後の具体的な海外進出戦略は「市場戦略」「商品調達戦略」「出店投資戦略」の3つの側面から検討されるべきであると指摘し、日系小売業者者の海外進出の実態についてこの3つの側面から評価した。さらに、解決すべき課題は市場戦略ではフィルター構造の相違を意識した経営システムの変更、商品調達戦略ではプライベートブランド開発、国内的なネットワークの構築と調達物流の重視、出店投資戦略では自己資金による資本金範囲内の投資と店舗ペースの加速及び本社の海外投資姿勢の是正をあげている。
 結章では、小売国際化の意義と今後の課題について提示している。著者は小売国際化のプロセスは母市場フィルター構造下で構築したやり方(技術)を、進出先市場との対等な「共生」関係を構築する中で改善していくことであり、その経験は母国市場と進出先市場の双方の流通システムの改善にもつながるとしている。
 
〔V〕
以上著書の内容を示してきたが、以下若干の問題点を指摘していく。第1は調査方法の問題である。ヒアリングによって得られたデータと各種統計や現地新聞雑誌のデータを組み合わせた手法はデータの不足といった事情を考慮すれば現時点では致しかたないともいえる。しかし、こうした手法は著者が網羅的にヒアリングを行ったとして、質問内容や質問方法が著者の裁量に依存するところが大きく、ヒアリングで得たデータと既存データの組み合わせについても明確ではない部分が残る。また、本書の多くの部分(特に後半)がヒアリングを通じた特定の国での特定業態のケースを恣意的に示すことによって、さまざまな問題について断定的に議論している点も問題である。紙数の制約もあろうが、恣意的という印象を排除するためにも、ケース選定の明確な基準の提示とさらに多くのケースのより詳細な検討が必要である。そして、著者も指摘するように理想的にはしっかりしたデータベースを構築し、きちんとした検証がなされるべきである。
 第2はヒアリング対象の問題である。この問題は著者も今後の課題としてあげているが、非常に重要である。日系企業は日本人研究者が調査するのに容易であり、これだけの量のヒアリングが可能となった。しかし、小売企業の海外進出の多くは欧米の小売業者になされており、本書のねらいである「商業資本の国際的な運動法則」を示すのであれば、当然欧米の小売業者についても、その実態が明らかにされる必要がある。
 第3はフィルター構造といった概念自体の曖昧さという問題である。著者は「フィルター構造」というに視角で、各国の市場に存在する多くの要素の因果関係を説明しようとしている。「フィルター構造」の視角は既存研究の問題点である複数の要素間の相互作用を取り扱えると点で有用である。しかし、「フィルター構造」という視角自体は各市場がそれぞれ多様な要素によって構築されていて、その要素は複雑に関連しており、その関連の仕方が各国ごとに異なるということを示したに過ぎない。そして、そこから導かれた戦略はフィルター構造が類似した市場への進出、フィルター構造が異なるので適応化するといった戦略に過ぎない。著者はこれの「全体構造自体の解明を目的にしているのではない・・・フィルター構造そのものの完全把握は重要であるが、現実的には不可能に近いものである(59頁脚注10)」と述べている。確かに、完全なフィルター構造の把握は不可能であろうが、フィルター構造に関するある程度の枠組み、内部を構成する各フィルター間の関係、フィルター構造通過のより明確な基準(著者は参入した市場で、継続的効率的に利益をあげるシステムを構築できた場合としている)、小売業者側の条件と各フィルターの関係、フィルター構造の相違がどのように戦略に影響を及ぼすかといった事項についてより明確にする必要がある(若干の考察は前著(1999)に示されているとはいえ、その内容はあくまでも市場の特性の分析に過ぎない)。

〔IV〕
 以上のような問題点はあるにしても、本書はこれまで製造業の国際化研究に比して遅れを指摘されてきた小売業の国際化研究への貢献は大きく、特に3つの点で非常に評価できる。
 第1はその調査の規模である。既存の小売業国際化研究において、特定国の海外進出小売業者をこれだけ網羅的に徹底して調査した研究は皆無である。巻末に示されたスーパーの海外店舗リスト(309-317頁)や百貨店、GMS、SMの出店・閉店数に関するリスト(318-319頁)は今後の研究においても非常に有用である。また、このような調査方法は思いつきこそすれ、実際に行うのは至難の技であり、その調査対象が日系小売業者であるという容易さはあったにしろ賞賛に値するといえる。
 第2はヒアリング調査ゆえに明確になった多くの事項である。特に、出店要因の分析の部分は非常に興味深い。日系小売業者の進出がこれまで裏話的に語られてきた「キーパーソンの存在」や「バブル期の現地からの出店勧誘」といった要因に大きく影響されて決定されたといった事実はアンケート調査では決して明らかにできない部分であり、こうした研究方法のプラス面を非常によく引き出している。
 第3は小売業独自の理論構築のための試みである。筆者は現地市場で店舗経営が成立する仕組みの構築が重要であり、そのためには店舗が立地する市場のより深い理解が必要であるとした。そして、市場のより深い理解は製造業の国際化研究の援用である既存研究の静態的な視角では不可能であるとし、「フィルター構造」というダイナミックな視角を提起したのである。既存研究も小売業の国際化は製造業の国際化とは相違点が多いので、この相違を意識した理論の構築の必要性は指摘されてきた。しかし、現実に理論仮説を導出しようとする研究は稀であり、その試みは非常に評価できる。
   
参考文献
川端基夫『アジア市場幻想論』新評論、1999年。
川端基夫「日系小売業のアジア進出と「誤算」」ロス・デービス、矢作敏行編『アジア発グローバル小売競争』日本経済新聞社、117-137頁、2001年。
向山雅夫『ピュア・グローバルへの着地』千倉書房、1996年。